No. 1250
備前伊部徳利
¥23,000
売約済み作品説明
備前に生まれ、研究者としても作家としても備前に貢献し、数々の功績を残した名工 日幡光顕(光顕人)先生の徳利です。光顕先生らしい小振りながらも真面目で力強い線を持つ作品です。カリカリによく焼けた灰かぶりはきめ細かななまこ肌となっており、灰の焼き付きによる汚さを微塵も感じさせません。肌を刺すような焦げ胡麻の激しい凹凸ですらも清潔感すら感じさせます。装飾を抑えたスリムな作りに直球勝負の焼きが乗りどこまでも綺麗な作品となりました。
作品情報
- 器種
- 徳利
- 桐箱とサイズについて
- 共箱(四方桟)
口縁3.9cm×胴径9.5cm×胴径9.5cm×高さ11.9cm 容量 約330?
作家紹介・陶歴
日幡光顕先生は、備前市伊部の中心地、焼き物の町の氏神である天津神社宮司の家柄で、備前焼作家としても、備前焼研究の郷土史家としても著明な人で、著書に伊部町誌・備前焼誌・備前焼の鑑賞などがあります。郷土史研究の傍ら、1960年頃から余暇を見つけて有名作家を訪ね、陶技を磨き先祖伝来の「天津窯」継承して陶芸の道に入りました。1968年、備前市公民館長時代、優れた功績により文部大臣表彰を受けられ、宮中に参内して天皇陛下に拝謁の栄に浴されました。1970年、公民館長を退職し作陶に専念。同年、岡山県教育文化功労賞を受賞されました。1975年、日本伝統工芸展に4回入選し、日本工芸会正会員となりました。1979年から金彩の研究を始め、1980年金彩茶碗を伊勢神宮に献納。1985年、岡山日日新聞文化賞を受賞、1988年、優秀技能者県知事表彰を受け、備前市文化財保護委員長として文化教育発展にも大きく寄与されました。2002年に亡くなられました。
備前に生まれ、研究者としても作家としても備前に貢献し、数々の功績を残した名工 日幡光顕(光顕人)先生の徳利です。光顕先生らしい小振りながらも真面目で力強い線を持つ作品です。カリカリに良く焼けた灰被りはきめ細かななまこ肌となっており、灰の焼き付きによる汚さを微塵も感じさせません。肌を刺すような焦げ胡麻の激しい凹凸ですらも清潔感すら感じさせます。装飾を抑えたスリムな作りに直球勝負の焼きが乗りどこまでも綺麗な作品となりました。
共箱(四方桟)
口縁3.9cm×胴径9.5cm×胴径9.5cm×高さ11.9cm 容量 約330cc 日幡光顕先生は、備前市伊部の中心地、焼き物の町の氏神である天津神社宮司の家柄で、備前焼作家としても、備前焼研究の郷土史家としても著明な人で、著書に伊部町誌・備前焼誌・備前焼の鑑賞などがあります。郷土史研究の傍ら、1960年頃から余暇を見つけて有名作家を訪ね、陶技を磨き先祖伝来の「天津窯」継承して陶芸の道に入りました。1968年、備前市公民館長時代、優れた功績により文部大臣表彰を受けられ、宮中に参内して天皇陛下に拝謁の栄に浴されました。1970年、公民館長を退職し作陶に専念。同年、岡山県教育文化功労賞を受賞されました。1975年、日本伝統工芸展に4回入選し、日本工芸会正会員となりました。1979年から金彩の研究を始め、1980年金彩茶碗を伊勢神宮に献納。1985年、岡山日日新聞文化賞を受賞、1988年、優秀技能者県知事表彰を受け、備前市文化財保護委員長として文化教育発展にも大きく寄与されました。2002年に亡くなられました。
口縁3.9cm×胴径9.5cm×胴径9.5cm×高さ11.9cm 容量 約330cc 日幡光顕先生は、備前市伊部の中心地、焼き物の町の氏神である天津神社宮司の家柄で、備前焼作家としても、備前焼研究の郷土史家としても著明な人で、著書に伊部町誌・備前焼誌・備前焼の鑑賞などがあります。郷土史研究の傍ら、1960年頃から余暇を見つけて有名作家を訪ね、陶技を磨き先祖伝来の「天津窯」継承して陶芸の道に入りました。1968年、備前市公民館長時代、優れた功績により文部大臣表彰を受けられ、宮中に参内して天皇陛下に拝謁の栄に浴されました。1970年、公民館長を退職し作陶に専念。同年、岡山県教育文化功労賞を受賞されました。1975年、日本伝統工芸展に4回入選し、日本工芸会正会員となりました。1979年から金彩の研究を始め、1980年金彩茶碗を伊勢神宮に献納。1985年、岡山日日新聞文化賞を受賞、1988年、優秀技能者県知事表彰を受け、備前市文化財保護委員長として文化教育発展にも大きく寄与されました。2002年に亡くなられました。
