No. 5884
備前湯呑
¥200,000
売約済み作品説明
初代人間国宝にして偉大なる備前焼中興の祖、金重陶陽先生の備前湯呑です。
陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、
昭和30年前後に制作された晩年期の作品であると思われます。
備前最上級と言われる良質の土を丁寧に選り分けて使用しており、
土の中でも小石や砂の含有の多い部分を使用してザックリとした土味としています。
流石金重陶陽先生と言わんばかりの惚れ惚れする土味をしており、
柔らかで明るい茶褐色の土味をベースに、
飴色や緋色などが細かくグラデーションしており大変美しいです。
高台部分にはさり気なく緋襷を敷いており、
やや白く抜けた土に格子状に緋襷が掛かり、
ついついひっくり返して眺めてしまう味のある景色を作っています。
どっしりとした大振りの造形も素敵で、
湯呑といえども魔性の魅力を秘めた作品に仕上がっています。 鑑定箱後日(恐れ入りますが発送までしばらくお時間がかかります。)
径8.4cm×8.3cm×高さ10.1cm
陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、
昭和30年前後に制作された晩年期の作品であると思われます。
備前最上級と言われる良質の土を丁寧に選り分けて使用しており、
土の中でも小石や砂の含有の多い部分を使用してザックリとした土味としています。
流石金重陶陽先生と言わんばかりの惚れ惚れする土味をしており、
柔らかで明るい茶褐色の土味をベースに、
飴色や緋色などが細かくグラデーションしており大変美しいです。
高台部分にはさり気なく緋襷を敷いており、
やや白く抜けた土に格子状に緋襷が掛かり、
ついついひっくり返して眺めてしまう味のある景色を作っています。
どっしりとした大振りの造形も素敵で、
湯呑といえども魔性の魅力を秘めた作品に仕上がっています。 鑑定箱後日(恐れ入りますが発送までしばらくお時間がかかります。)
径8.4cm×8.3cm×高さ10.1cm
作品情報
- 器種
- 湯呑・ビール呑
- 寸法
- W8.4cm×8.3cm×H10.1cm
作家紹介・陶歴
金重陶陽先生(1896年~1967年 備前市伊部生まれ)は、備前焼六姓の一つである金重家の分家、窯元・金重楳陽先生の長男として生まれました。
父に師事して作陶を始め、手づくりの宝瓶で名を高めました。
大正期から昭和初期にかけて、窯詰めや焼成方法、伝統的な土づくりなどの研究を重ね、1930年に桃山風備前の土味を再現することに成功しました。1932年頃からは轆轤による制作を始め、茶陶の制作にも力を注ぎました。
川喜田半泥子先生、荒川豊蔵先生、三輪休雪先生らと交友を深め、戦後には北大路魯山人先生、イサム・ノグチ先生らからも影響を受け、芸域を広げました。
江戸から明治を経て衰退していた備前焼に新風を吹き込み、その功績から「備前焼中興の祖」とも呼ばれています。
1954年に岡山県重要無形文化財保持者に認定され、1956年には備前焼で初めて国指定重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
1964年と1966年には、ハワイ大学夏季大学講師として招かれました。
1967年には昭和天皇・皇后両陛下が備前をご訪問された際に御前制作を行いました。
1967年に逝去されました。
主な受賞・顕彰歴:中国文化賞、山陽新聞賞、岡山県文化賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章など
父に師事して作陶を始め、手づくりの宝瓶で名を高めました。
大正期から昭和初期にかけて、窯詰めや焼成方法、伝統的な土づくりなどの研究を重ね、1930年に桃山風備前の土味を再現することに成功しました。1932年頃からは轆轤による制作を始め、茶陶の制作にも力を注ぎました。
川喜田半泥子先生、荒川豊蔵先生、三輪休雪先生らと交友を深め、戦後には北大路魯山人先生、イサム・ノグチ先生らからも影響を受け、芸域を広げました。
江戸から明治を経て衰退していた備前焼に新風を吹き込み、その功績から「備前焼中興の祖」とも呼ばれています。
1954年に岡山県重要無形文化財保持者に認定され、1956年には備前焼で初めて国指定重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
1964年と1966年には、ハワイ大学夏季大学講師として招かれました。
1967年には昭和天皇・皇后両陛下が備前をご訪問された際に御前制作を行いました。
1967年に逝去されました。
主な受賞・顕彰歴:中国文化賞、山陽新聞賞、岡山県文化賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章など
