No. 6285
備前酒呑
¥500,000
売約済み作品説明
初代人間国宝にして偉大なる備前焼中興の祖、金重陶陽先生の備前酒呑です。
陶の字を一部土丶にした陶印となっており、
細工物から轆轤物へと作品制作を徐々に移行していた時代の作品です。
細工物から轆轤物へと転向した頃の作品であり、
晩年期に比べて薄造りの造形やシンプルな高台削りからは、
細工物のエッセンスを感じ取ることが出来ます。
土に関しては轆轤物に適した田土を使用されており、
ほんのりと緋色が出た味わい深い抜けや、
茶色紫蘇色橙色など酒器には嬉しい多彩な土味を持っています。
さらに樹木の表皮のような独特のカセ胡麻もあり、
手入れによってやや掠れたような肌合いとなるなど、
抜群の枯れ味で眼も唇ももてなしてくれます。
胴部にはこの時期特有の檜垣文が彫り込まれており、
新たな備前焼の表現を求めて苦悩する金重陶陽先生の姿が思わず目に浮かびます。
金重晃介先生の鑑定付き写真が付属致します。
陶の字を一部土丶にした陶印となっており、
細工物から轆轤物へと作品制作を徐々に移行していた時代の作品です。
細工物から轆轤物へと転向した頃の作品であり、
晩年期に比べて薄造りの造形やシンプルな高台削りからは、
細工物のエッセンスを感じ取ることが出来ます。
土に関しては轆轤物に適した田土を使用されており、
ほんのりと緋色が出た味わい深い抜けや、
茶色紫蘇色橙色など酒器には嬉しい多彩な土味を持っています。
さらに樹木の表皮のような独特のカセ胡麻もあり、
手入れによってやや掠れたような肌合いとなるなど、
抜群の枯れ味で眼も唇ももてなしてくれます。
胴部にはこの時期特有の檜垣文が彫り込まれており、
新たな備前焼の表現を求めて苦悩する金重陶陽先生の姿が思わず目に浮かびます。
金重晃介先生の鑑定付き写真が付属致します。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W6.8cm×6.5cm×H5.2cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟・二重箱・鑑定済)
径6.8cm×6.5cm×高さ5.2cm
作家紹介・陶歴
金重陶陽先生(1896年~1967年 備前市伊部生まれ)は、備前焼六姓の一つである金重家の分家、窯元・金重楳陽先生の長男として生まれました。
父に師事して作陶を始め、手づくりの宝瓶で名を高めました。
大正期から昭和初期にかけて、窯詰めや焼成方法、伝統的な土づくりなどの研究を重ね、1930年に桃山風備前の土味を再現することに成功しました。1932年頃からは轆轤による制作を始め、茶陶の制作にも力を注ぎました。
川喜田半泥子先生、荒川豊蔵先生、三輪休雪先生らと交友を深め、戦後には北大路魯山人先生、イサム・ノグチ先生らからも影響を受け、芸域を広げました。
江戸から明治を経て衰退していた備前焼に新風を吹き込み、その功績から「備前焼中興の祖」とも呼ばれています。
1954年に岡山県重要無形文化財保持者に認定され、1956年には備前焼で初めて国指定重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
1964年と1966年には、ハワイ大学夏季大学講師として招かれました。
1967年には昭和天皇・皇后両陛下が備前をご訪問された際に御前制作を行いました。
1967年に逝去されました。
主な受賞・顕彰歴:中国文化賞、山陽新聞賞、岡山県文化賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章など
父に師事して作陶を始め、手づくりの宝瓶で名を高めました。
大正期から昭和初期にかけて、窯詰めや焼成方法、伝統的な土づくりなどの研究を重ね、1930年に桃山風備前の土味を再現することに成功しました。1932年頃からは轆轤による制作を始め、茶陶の制作にも力を注ぎました。
川喜田半泥子先生、荒川豊蔵先生、三輪休雪先生らと交友を深め、戦後には北大路魯山人先生、イサム・ノグチ先生らからも影響を受け、芸域を広げました。
江戸から明治を経て衰退していた備前焼に新風を吹き込み、その功績から「備前焼中興の祖」とも呼ばれています。
1954年に岡山県重要無形文化財保持者に認定され、1956年には備前焼で初めて国指定重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
1964年と1966年には、ハワイ大学夏季大学講師として招かれました。
1967年には昭和天皇・皇后両陛下が備前をご訪問された際に御前制作を行いました。
1967年に逝去されました。
主な受賞・顕彰歴:中国文化賞、山陽新聞賞、岡山県文化賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章など
