No. 7570
備前緋襷麦酒呑
¥55,000
売約済み作品説明
備前が誇る伝統工芸士で、酒器作りの神様と謳われた中村六郎先生の備前緋襷麦酒呑です。
作風や箱書きなどから見て、70代半ばから80代頃にかけての作品と推測されます。
中村家のビール呑と言えば、この土管のようなストレートタイプが一般的で、
実際に手にとって見れば見た目の大きさの割に大変収まりが良く、
何気ない造形ながらも六郎先生が考え抜いた造形である事が伺えます。
さらに本作は一般的な六郎先生のビアマグよりもやや背が高くなっており、
勢い良く轆轤を挽き上げる六郎先生の矍鑠たる様子が目に浮かんできます。
中村六郎先生の代名詞とも言える、流れるように整えられた口縁部も健在で、
上から見た場合に三箇所の頂点を持つ緩やかな三角形となり、
左党を虜にしてきた独特の意匠がビアマグでもしっかりと再現されています。
焼成の面ではもぐさ土の中にふわりと開花するような優しい緋襷が絶妙で、
前述の荒くれ野武士のような野趣溢れる作風の中に、
まるで一輪の花を添えるが如く緋襷が落とし込まれています。
電気窯特有の粘土内の空気が熱膨張する「膨れ」が作品各所に見られますが、
豪快な造形や美しい緋色と相まって景色の一つとして楽しめます。
作風や箱書きなどから見て、70代半ばから80代頃にかけての作品と推測されます。
中村家のビール呑と言えば、この土管のようなストレートタイプが一般的で、
実際に手にとって見れば見た目の大きさの割に大変収まりが良く、
何気ない造形ながらも六郎先生が考え抜いた造形である事が伺えます。
さらに本作は一般的な六郎先生のビアマグよりもやや背が高くなっており、
勢い良く轆轤を挽き上げる六郎先生の矍鑠たる様子が目に浮かんできます。
中村六郎先生の代名詞とも言える、流れるように整えられた口縁部も健在で、
上から見た場合に三箇所の頂点を持つ緩やかな三角形となり、
左党を虜にしてきた独特の意匠がビアマグでもしっかりと再現されています。
焼成の面ではもぐさ土の中にふわりと開花するような優しい緋襷が絶妙で、
前述の荒くれ野武士のような野趣溢れる作風の中に、
まるで一輪の花を添えるが如く緋襷が落とし込まれています。
電気窯特有の粘土内の空気が熱膨張する「膨れ」が作品各所に見られますが、
豪快な造形や美しい緋色と相まって景色の一つとして楽しめます。
作品情報
- 器種
- 湯呑・ビール呑
- 寸法
- W7.3cm×7.0cm×H11.6cm
- 商品説明より
- 共箱(二方桟)
径7.3cm×7.0cm×高さ11.6cm
作家紹介・陶歴
中村六郎先生は1914年に岡山県備前市で生まれました。
終戦までは会社勤めをされていましたが、金重陶陽先生に薫陶を受け窯焚きの技術等を習得されました。
その後、1961年に六郎窯を築いて独立されました。
1986年には伝統工芸士に認定され、同年岡山日日新聞賞を受賞されました。
1989年には春の叙勲で勲七等青色桐葉章を受章されました。
酒器を中心に花器や茶器などを制作されており、特に酒器は愛陶家から好評を得ていました。
2004年4月に逝去されました。
酒器を中心に花器や茶器などを制作されており、特に酒器は愛陶家から好評を得ていました。
2004年4月に逝去されました。
終戦までは会社勤めをされていましたが、金重陶陽先生に薫陶を受け窯焚きの技術等を習得されました。
その後、1961年に六郎窯を築いて独立されました。
1986年には伝統工芸士に認定され、同年岡山日日新聞賞を受賞されました。
1989年には春の叙勲で勲七等青色桐葉章を受章されました。
酒器を中心に花器や茶器などを制作されており、特に酒器は愛陶家から好評を得ていました。
2004年4月に逝去されました。
酒器を中心に花器や茶器などを制作されており、特に酒器は愛陶家から好評を得ていました。
2004年4月に逝去されました。
