No. 6115
備前ぐい呑
¥60,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の最近作の備前酒呑です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
重厚な土肌に豪快な胡麻が掛かった拾六備前の特徴をよく捉えた作品です。
伊賀系の焼き物を彷彿とさせる強烈な自然釉が目を引く酒呑で、
淡いグリーンの自然釉が丁度作品の片面を覆うように出ています。
自然釉の景色も面白いですが、やはり特筆すべきはその造形で、
まるでタコかかぼちゃを思わせるような下膨れのデザインは、
酒呑全体で見てもどこか深海に住まう謎の生き物のような雰囲気があります。
使用感で見た場合、異形の姿とは裏腹に非常に素直な作品で、
大型の作品でありながら肉厚過ぎず程よい手取り感となっており、
口縁部もしっかりと整えられて非常に使いやすくなっています。
正面の黒点はいわゆる石爆ぜの亜種のようなもので、
鉄分などの粘土内の成分が煮え滾って、
器の表面を突き破って溶け出しており面白いです。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の最近作の備前酒呑です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
重厚な土肌に豪快な胡麻が掛かった拾六備前の特徴をよく捉えた作品です。
伊賀系の焼き物を彷彿とさせる強烈な自然釉が目を引く酒呑で、
淡いグリーンの自然釉が丁度作品の片面を覆うように出ています。
自然釉の景色も面白いですが、やはり特筆すべきはその造形で、
まるでタコかかぼちゃを思わせるような下膨れのデザインは、
酒呑全体で見てもどこか深海に住まう謎の生き物のような雰囲気があります。
使用感で見た場合、異形の姿とは裏腹に非常に素直な作品で、
大型の作品でありながら肉厚過ぎず程よい手取り感となっており、
口縁部もしっかりと整えられて非常に使いやすくなっています。
正面の黒点はいわゆる石爆ぜの亜種のようなもので、
鉄分などの粘土内の成分が煮え滾って、
器の表面を突き破って溶け出しており面白いです。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W6.8cm×6.8cm×H7.1cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
径6.8cm×6.8cm×高さ7.1cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
