No. 6224
備前酒呑
¥70,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前ぐい呑(酒呑)です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
まるで木桶のような重厚な造形が拾六先生らしい作品です。
古陶磁研究で培った技術と知識を詰め込んだ酒呑で、
高熱で歪曲した胴部は荒縄の豪快な意匠も相まって、
弾け飛びそうな木桶を何とか縛り上げているかのようにも見えます。
口縁部にも勿論荒縄状の意匠が施されてはいますが、
左右両端を使用感を考慮して思いっきり削ぎ落としており、
細かい造形に対してこのためらいのなさが拾六イズムを体現しているように思います。
焼成は細かい意匠を残すためかやや自然釉を避けたようになっており
複雑に変化する土味の中で金彩が素敵なアクセントになっています。
桶の形状を生かしてガブガブと呑みたくなる酒呑で、
大きさから焼酎杯として使用しても面白そうです。
熱で底部が変形しており、グラグラと不安定ですが使用上問題はございません。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前ぐい呑(酒呑)です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
まるで木桶のような重厚な造形が拾六先生らしい作品です。
古陶磁研究で培った技術と知識を詰め込んだ酒呑で、
高熱で歪曲した胴部は荒縄の豪快な意匠も相まって、
弾け飛びそうな木桶を何とか縛り上げているかのようにも見えます。
口縁部にも勿論荒縄状の意匠が施されてはいますが、
左右両端を使用感を考慮して思いっきり削ぎ落としており、
細かい造形に対してこのためらいのなさが拾六イズムを体現しているように思います。
焼成は細かい意匠を残すためかやや自然釉を避けたようになっており
複雑に変化する土味の中で金彩が素敵なアクセントになっています。
桶の形状を生かしてガブガブと呑みたくなる酒呑で、
大きさから焼酎杯として使用しても面白そうです。
熱で底部が変形しており、グラグラと不安定ですが使用上問題はございません。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W9.1cm×7.1cm×H7.5cm
- 商品説明より
- 共箱後日(恐れ入りますが発送までしばらくお時間がかかります。)
径9.1cm×7.1cm×高さ7.5cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
