No. 6257
備前火襷酒呑
¥55,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前火襷ぐい呑です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
電気窯による一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
キンキンに焼き締まった非常に硬質な緋襷が特徴の酒呑です。
原田拾六先生の代表作とも言える備前擂鉢を酒呑にコンバートしたユニークな作品で、
古備前の研究に心血を注いだ拾六先生らしい見事な作り込みとなっています。
土をギュッと圧縮するように立ち上げた造形は実に力強く、
古備前擂鉢と同様に掌の中でも圧倒的な存在感があります。
火襷は必要最低限、むしろ仕方なく出たとすら思わせる徹底ぶりで、
底部中央部分から放射状に稲藁が掛けられており、
無骨な精神を見事に体現する仕上がりとなっています。
まるで己が酒呑であることを忘れたかのような本作は、
まさしく堂々たる備前擂鉢そのものであり、
この酒呑を握り締めて酒を口に運べば、
まるで身の丈10メートルの大きな鬼にでもなったかのような不思議な気分になります。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前火襷ぐい呑です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
電気窯による一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
キンキンに焼き締まった非常に硬質な緋襷が特徴の酒呑です。
原田拾六先生の代表作とも言える備前擂鉢を酒呑にコンバートしたユニークな作品で、
古備前の研究に心血を注いだ拾六先生らしい見事な作り込みとなっています。
土をギュッと圧縮するように立ち上げた造形は実に力強く、
古備前擂鉢と同様に掌の中でも圧倒的な存在感があります。
火襷は必要最低限、むしろ仕方なく出たとすら思わせる徹底ぶりで、
底部中央部分から放射状に稲藁が掛けられており、
無骨な精神を見事に体現する仕上がりとなっています。
まるで己が酒呑であることを忘れたかのような本作は、
まさしく堂々たる備前擂鉢そのものであり、
この酒呑を握り締めて酒を口に運べば、
まるで身の丈10メートルの大きな鬼にでもなったかのような不思議な気分になります。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W9.1cm×8.1cm×H4.4cm
- 商品説明より
- 共箱後日(恐れ入りますが発送までしばらくお時間がかかります。)
径9.1cm×8.1cm×高さ4.4cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
