No. 6330
備前酒呑
¥600,000
売約済み作品説明
初代人間国宝にして偉大なる備前焼中興の祖、金重陶陽先生の備前酒呑です。
陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、
昭和30年代に制作された晩年期の作品であると思われます。
晩年期の作品らしく左右非対称の踊るような轆轤挽きとなっており、
やや小振りで収まりの良い形ながらも抜群の色気を放っています。
逆に高台部分は神経を研ぎ澄ませて一瞬一刀で削ったように見え、
まるで酒呑自体が酔って踊るような胴部の印象とは異なり、
天才細工師による冷徹さすら感じるほどの正確無比な仕事ぶりとなっています。
使用されている粘土に関しても陶陽先生らしくこだわり抜いた土を使用しており、
美しい紫蘇色が火に敏感に反応して仄かな緋色へと変化するなど、
見る角度によって様々に印象を変える味わい深い土味が展開されています。
さらに一部には樹木の表皮のような緑色掛かったカセ胡麻もあり、
サラサラとした抜群の触り心地で指先を喜ばせつつ、
美しい紫蘇色との対比で眼でも楽しませてくれる事でしょう。
金重晃介先生の鑑定付き写真が付属致します。
陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、
昭和30年代に制作された晩年期の作品であると思われます。
晩年期の作品らしく左右非対称の踊るような轆轤挽きとなっており、
やや小振りで収まりの良い形ながらも抜群の色気を放っています。
逆に高台部分は神経を研ぎ澄ませて一瞬一刀で削ったように見え、
まるで酒呑自体が酔って踊るような胴部の印象とは異なり、
天才細工師による冷徹さすら感じるほどの正確無比な仕事ぶりとなっています。
使用されている粘土に関しても陶陽先生らしくこだわり抜いた土を使用しており、
美しい紫蘇色が火に敏感に反応して仄かな緋色へと変化するなど、
見る角度によって様々に印象を変える味わい深い土味が展開されています。
さらに一部には樹木の表皮のような緑色掛かったカセ胡麻もあり、
サラサラとした抜群の触り心地で指先を喜ばせつつ、
美しい紫蘇色との対比で眼でも楽しませてくれる事でしょう。
金重晃介先生の鑑定付き写真が付属致します。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W6.5cm×6.3cm×H5.3cm
- 桐箱とサイズについて
- 共箱(四方桟・二重箱・鑑定済)
径6.5cm×6.3cm×高さ5.3cm
作家紹介・陶歴
金重陶陽先生(1896年~1967年 備前市伊部生まれ)は、備前焼六姓の一つである金重家の分家、窯元・金重楳陽先生の長男として生まれました。
父に師事して作陶を始め、手づくりの宝瓶で名を高めました。
大正期から昭和初期にかけて、窯詰めや焼成方法、伝統的な土づくりなどの研究を重ね、1930年に桃山風備前の土味を再現することに成功しました。1932年頃からは轆轤による制作を始め、茶陶の制作にも力を注ぎました。
川喜田半泥子先生、荒川豊蔵先生、三輪休雪先生らと交友を深め、戦後には北大路魯山人先生、イサム・ノグチ先生らからも影響を受け、芸域を広げました。
江戸から明治を経て衰退していた備前焼に新風を吹き込み、その功績から「備前焼中興の祖」とも呼ばれています。
1954年に岡山県重要無形文化財保持者に認定され、1956年には備前焼で初めて国指定重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
1964年と1966年には、ハワイ大学夏季大学講師として招かれました。
1967年には昭和天皇・皇后両陛下が備前をご訪問された際に御前制作を行いました。
1967年に逝去されました。
主な受賞・顕彰歴:中国文化賞、山陽新聞賞、岡山県文化賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章など
父に師事して作陶を始め、手づくりの宝瓶で名を高めました。
大正期から昭和初期にかけて、窯詰めや焼成方法、伝統的な土づくりなどの研究を重ね、1930年に桃山風備前の土味を再現することに成功しました。1932年頃からは轆轤による制作を始め、茶陶の制作にも力を注ぎました。
川喜田半泥子先生、荒川豊蔵先生、三輪休雪先生らと交友を深め、戦後には北大路魯山人先生、イサム・ノグチ先生らからも影響を受け、芸域を広げました。
江戸から明治を経て衰退していた備前焼に新風を吹き込み、その功績から「備前焼中興の祖」とも呼ばれています。
1954年に岡山県重要無形文化財保持者に認定され、1956年には備前焼で初めて国指定重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
1964年と1966年には、ハワイ大学夏季大学講師として招かれました。
1967年には昭和天皇・皇后両陛下が備前をご訪問された際に御前制作を行いました。
1967年に逝去されました。
主な受賞・顕彰歴:中国文化賞、山陽新聞賞、岡山県文化賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章など
