No. 6367
備前ぐい呑
¥80,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生のやや前作の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成12年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作された作品であると思われます。
正面には拾六先生が好んで使用されていたハートマークの彫りがあり、
一目見たら忘れられなくなる絶大なインパクトがあります。
そんな大胆なハートマークに負けじと焼成の面でもかなり力が入っており、
伊賀系の焼き物を彷彿とさせるグリーンの自然釉がガラス状に焼き付き、
さらに一部は焦げてまるで掘り出してきたばかりの鉱石のような質感へと変化しています。
強い焼き込みに応じて土味にも変化が発生しており、
正面や背面の抜けの部分ではやや明るめの茶褐色をベースとして、
土味と窯変の境界部分や見込みでは蕩けるようなチョコレート色が見られます。
拾六先生のトレードマークとも言える付け高台も見事で、
敢えて巻きつけたそのままの姿を残し全体と調和させています。
使用する際には剥き出しの野生に張り手を喰らわせられるのかと思いきや、
手に取ってみるとぐい呑としてあくまでも程よい重量感に抑えてあり、
紐作りの仕上げに箆でしっかりと呑み口を残してあるなど、
豪快の一言では到底片付けられない見事なおもてなしを受けます。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生のやや前作の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成12年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作された作品であると思われます。
正面には拾六先生が好んで使用されていたハートマークの彫りがあり、
一目見たら忘れられなくなる絶大なインパクトがあります。
そんな大胆なハートマークに負けじと焼成の面でもかなり力が入っており、
伊賀系の焼き物を彷彿とさせるグリーンの自然釉がガラス状に焼き付き、
さらに一部は焦げてまるで掘り出してきたばかりの鉱石のような質感へと変化しています。
強い焼き込みに応じて土味にも変化が発生しており、
正面や背面の抜けの部分ではやや明るめの茶褐色をベースとして、
土味と窯変の境界部分や見込みでは蕩けるようなチョコレート色が見られます。
拾六先生のトレードマークとも言える付け高台も見事で、
敢えて巻きつけたそのままの姿を残し全体と調和させています。
使用する際には剥き出しの野生に張り手を喰らわせられるのかと思いきや、
手に取ってみるとぐい呑としてあくまでも程よい重量感に抑えてあり、
紐作りの仕上げに箆でしっかりと呑み口を残してあるなど、
豪快の一言では到底片付けられない見事なおもてなしを受けます。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W7.5cm×6.6cm×H7.1cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟・紐なし)
径7.5cm×6.6cm×高さ7.1cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
