No. 6963
備前ぐい呑
¥40,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前酒呑です。
箱の状態や同封されている陶歴書などからみて、
昭和末期から平成の初期にかけて制作した酒呑であると思われます。
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ豪快は肌合いは絶品で
最近作の青みがかったカセ胡麻が本作にも発現しています。
本作は紐作りで作品を立ち上げた後に箆で大きく削ぎ落としており、
削った面の土がささくれ立つ荒々しい景色がは拾六先生らしいです。
高台部分は拾六先生のトレードマークである付け高台ではなく、
削り出しによる碁笥底となっておりデザインの統一性を重視されています。
口縁部から見込みを覗けば、これまではやや甘い焼き上がりでカセていた胡麻が、
見込み奥へと侵入する程に焼きが進んで黄胡麻へと再結晶しており、
それらが濃厚な土味が露出した見込みへと落ちていく様子がたまりません。
前作ですが未使用品で汚れなどはございません。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前酒呑です。
箱の状態や同封されている陶歴書などからみて、
昭和末期から平成の初期にかけて制作した酒呑であると思われます。
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ豪快は肌合いは絶品で
最近作の青みがかったカセ胡麻が本作にも発現しています。
本作は紐作りで作品を立ち上げた後に箆で大きく削ぎ落としており、
削った面の土がささくれ立つ荒々しい景色がは拾六先生らしいです。
高台部分は拾六先生のトレードマークである付け高台ではなく、
削り出しによる碁笥底となっておりデザインの統一性を重視されています。
口縁部から見込みを覗けば、これまではやや甘い焼き上がりでカセていた胡麻が、
見込み奥へと侵入する程に焼きが進んで黄胡麻へと再結晶しており、
それらが濃厚な土味が露出した見込みへと落ちていく様子がたまりません。
前作ですが未使用品で汚れなどはございません。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W7.2cm×6.8cm×H6.5cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
径7.2cm×6.8cm×高さ6.5cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
