No. 7340
備前ぐい呑
¥121,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成5年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
むせ返るような土のエネルギーを感じる強烈な緋襷が特徴となっています。
穴窯の中でじっくりと直接火の当たらない場所で焼かれており、
生涯を掛けて古備前を追い求めた拾六先生らしい古備前に比肩する小豆色の土味に、
藁のエキスが滴り落ちそうな程に濃厚な臙脂色の緋襷が焼き付いています。
特に秀逸なのが高台の内側にまで発生した濃厚な緋襷で、
拾六先生の十八番である豪快な付け高台に対して、
内側まで一気に強烈な緋襷が侵入しており、非常に見応えのある景色になっています。
原田拾六先生らしい紐作りによる力強さと使いやすさを兼ね備えた造形も見事で、
存在を主張する重厚感はありますが、酒器としての許容範囲を逸脱するような事は無く、
滑らかな質感とくびれた胴の程よいグリップ感が相まって、非常に心地良い手取り感になっています。
使用感はありますが汚れなどはございません。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成5年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
むせ返るような土のエネルギーを感じる強烈な緋襷が特徴となっています。
穴窯の中でじっくりと直接火の当たらない場所で焼かれており、
生涯を掛けて古備前を追い求めた拾六先生らしい古備前に比肩する小豆色の土味に、
藁のエキスが滴り落ちそうな程に濃厚な臙脂色の緋襷が焼き付いています。
特に秀逸なのが高台の内側にまで発生した濃厚な緋襷で、
拾六先生の十八番である豪快な付け高台に対して、
内側まで一気に強烈な緋襷が侵入しており、非常に見応えのある景色になっています。
原田拾六先生らしい紐作りによる力強さと使いやすさを兼ね備えた造形も見事で、
存在を主張する重厚感はありますが、酒器としての許容範囲を逸脱するような事は無く、
滑らかな質感とくびれた胴の程よいグリップ感が相まって、非常に心地良い手取り感になっています。
使用感はありますが汚れなどはございません。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W7.2cm×6.9cm×H5.8cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
径7.2cm×6.9cm×高さ5.8cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
