No. 7354
備前ぐい呑
¥121,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成5年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
キンキンに焼き締まった非常に硬質な緋襷が特徴の酒呑です。
穴窯の中で直接火の当たらない場所で焼かれており、
僅かに青色の混じった白肌に、光沢の無い緋襷がよく似合っています。
口縁部にはごく僅かに侵入した熱風による細かい飛び胡麻の形跡があり、
箆で豪快に削り出した口縁部と相まって面白いアクセントとなっています。
原田拾六先生らしい紐作りによる大胆な造形も見事で、
箆による削りに加えて、爪痕や小石の移動した痕跡が全身に刻み込まれており、
さながら戦国時代の荒武者のような迫力のある肌となっています。
重厚感はありますが酒器を逸脱するような重量感は無く、
滑らかな質感とくびれた胴の程よいグリップ感が相まって心地よい手取り感になっています。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成5年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
キンキンに焼き締まった非常に硬質な緋襷が特徴の酒呑です。
穴窯の中で直接火の当たらない場所で焼かれており、
僅かに青色の混じった白肌に、光沢の無い緋襷がよく似合っています。
口縁部にはごく僅かに侵入した熱風による細かい飛び胡麻の形跡があり、
箆で豪快に削り出した口縁部と相まって面白いアクセントとなっています。
原田拾六先生らしい紐作りによる大胆な造形も見事で、
箆による削りに加えて、爪痕や小石の移動した痕跡が全身に刻み込まれており、
さながら戦国時代の荒武者のような迫力のある肌となっています。
重厚感はありますが酒器を逸脱するような重量感は無く、
滑らかな質感とくびれた胴の程よいグリップ感が相まって心地よい手取り感になっています。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W7.1cm×6.8cm×H6.5cm
- 桐箱とサイズについて
- 共箱(四方桟)
径7.1cm×6.8cm×高さ6.5cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
