No. 7382
備前火襷ぐい呑
¥121,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前火襷ぐい呑(酒呑)です。
平成16年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
電気窯による一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
キンキンに焼き締まった非常に硬質な緋襷が特徴の酒呑です。
ジワリと土肌に染み込むが如き濃厚な緋襷が素晴らしく、
外周部はまるで龍がとぐろを巻くような縦横無尽の線の緋襷が、
見込みは朧げに色づく面の緋襷がそれぞれ展開されています。
逆に土肌自体は非常にきめ細かで柔らかな触り心地となっており、
酒を呑むのを忘れていつまでも指で撫でていたくなります。
原田拾六先生らしい紐作りによる大胆な造形も見事で、
口縁部はまるで帯のような意匠が施されており、
擂鉢と茶碗をミックスしたかのような作風となっています。
重厚感はありますが酒器を逸脱するような重量感は無く、
柔らかな質感と程よい胴の膨らみが相まって心地よい手取り感になっています。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の前作の備前火襷ぐい呑(酒呑)です。
平成16年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
電気窯による一般的な緋襷作品に代表される優美なイメージを覆す、
キンキンに焼き締まった非常に硬質な緋襷が特徴の酒呑です。
ジワリと土肌に染み込むが如き濃厚な緋襷が素晴らしく、
外周部はまるで龍がとぐろを巻くような縦横無尽の線の緋襷が、
見込みは朧げに色づく面の緋襷がそれぞれ展開されています。
逆に土肌自体は非常にきめ細かで柔らかな触り心地となっており、
酒を呑むのを忘れていつまでも指で撫でていたくなります。
原田拾六先生らしい紐作りによる大胆な造形も見事で、
口縁部はまるで帯のような意匠が施されており、
擂鉢と茶碗をミックスしたかのような作風となっています。
重厚感はありますが酒器を逸脱するような重量感は無く、
柔らかな質感と程よい胴の膨らみが相まって心地よい手取り感になっています。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W6.9cm×6.7cm×H5.9cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
径6.9cm×6.7cm×高さ5.9cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
