No. 7599
備前ぐい呑
¥132,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成16年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも後期の窯の作品で、
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ重厚な景色が特徴となっています。
本作は、拾六先生最後期の窯焚きの集大成のような窯変が随所に見られる力作で、
混合割り木による自然黒と緑胡麻、金彩が強く出た土味の組み合わせが異彩を放っております。
特に土味は、全体がまるでプラチナコーティングされたかのような輝きを持っており、
まるで金属が練り上げられたような鈍い輝きは、豪快な造形に負けない存在感のある景色となっています。
極太の帯を携えた造形は、豪快な紐作りで立ち上げられており、
完成してもなお未だに力強く膨張を続けているかのようで非常に迫力があります。
しかし、三角形を基本とした立ち上げは左右どちらでも持ちやすくなっており、
重くなり過ぎないよう工夫を凝らした手取り感も相まって見た目以上に使いやすい酒呑です。
新品で購入後にそのまま大切に保管されていた未使用品です。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成16年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも後期の窯の作品で、
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ重厚な景色が特徴となっています。
本作は、拾六先生最後期の窯焚きの集大成のような窯変が随所に見られる力作で、
混合割り木による自然黒と緑胡麻、金彩が強く出た土味の組み合わせが異彩を放っております。
特に土味は、全体がまるでプラチナコーティングされたかのような輝きを持っており、
まるで金属が練り上げられたような鈍い輝きは、豪快な造形に負けない存在感のある景色となっています。
極太の帯を携えた造形は、豪快な紐作りで立ち上げられており、
完成してもなお未だに力強く膨張を続けているかのようで非常に迫力があります。
しかし、三角形を基本とした立ち上げは左右どちらでも持ちやすくなっており、
重くなり過ぎないよう工夫を凝らした手取り感も相まって見た目以上に使いやすい酒呑です。
新品で購入後にそのまま大切に保管されていた未使用品です。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W8.6cm×7.6cm×H5.6cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
径8.6cm×7.6cm×高さ5.6cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
