No. 7307
備前小擂鉢
¥132,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前小擂鉢です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
しっかりと焼き締まった硬質の肌に、数多の窯変を纏った力作です。
擂鉢は原田拾六先生の代表作であり、古備前の研究に心血を注いだ拾六先生らしく、
深い古陶磁の見識が土台となり、その上で拾六備前のエネルギッシュな作風が花開いています。
土をギュッと圧縮するように立ち上げた造形は実に力強く、
古備前擂鉢と同様に掌の中でも圧倒的な存在感があります。
土肌の表面がガラス質の光沢が出るほどに激しく焼き込まれており、
紙やすりのような焦げ、鍾乳石のような海鼠肌、濃厚な黄胡麻と、
どの面から眺めても景色が押し寄せてまいります。
ちょうど片手で持てる限界に近いサイズ感となっており、
豪快に酒注ぎとして使ってやるのも実に面白く、
滴る酒の雫を肌に刷り込んでやれば得も言われぬ美しさとなります。
前作ですが使用感や汚れなどはございません。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前小擂鉢です。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも最後期の窯の作品で、
しっかりと焼き締まった硬質の肌に、数多の窯変を纏った力作です。
擂鉢は原田拾六先生の代表作であり、古備前の研究に心血を注いだ拾六先生らしく、
深い古陶磁の見識が土台となり、その上で拾六備前のエネルギッシュな作風が花開いています。
土をギュッと圧縮するように立ち上げた造形は実に力強く、
古備前擂鉢と同様に掌の中でも圧倒的な存在感があります。
土肌の表面がガラス質の光沢が出るほどに激しく焼き込まれており、
紙やすりのような焦げ、鍾乳石のような海鼠肌、濃厚な黄胡麻と、
どの面から眺めても景色が押し寄せてまいります。
ちょうど片手で持てる限界に近いサイズ感となっており、
豪快に酒注ぎとして使ってやるのも実に面白く、
滴る酒の雫を肌に刷り込んでやれば得も言われぬ美しさとなります。
前作ですが使用感や汚れなどはございません。
作品情報
- 器種
- 細工物・その他
- 寸法
- W14.7cm×12.2cm×H7.0cm
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
径14.7cm×12.2cm×高さ7.0cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
