No. 7385
備前徳利
¥220,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前徳利です。
平成5年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも中期頃の窯の作品で、
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ重厚な景色が特徴となっています。
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ豪快は肌合いは絶品で
よく溶けて流れた緑色の胡麻は、一目で拾六先生と分かる仕上がりです。
また、拾六先生のもう一つの代名詞とも言える濃厚な紫蘇色の土味も発現しており、
さらに全体が金彩掛かっており、まるでプラチナでコーティングされたかのように輝いています。
作品全体に細かい箆を入れており、これが小石を動かすなどして細かい表情を作り出し、
体中に刀傷を抱えた戦国時代の荒武者のような雰囲気を醸し出しています。
ただ、全体的なシルエットや造形法則は古備前の芋徳利にしっかり準じており、
棗の実のようなやや下膨れの楕円形に、紐作りによる粘土の細かい隆起が合わさっています。
購入後に大切に保管されていた未使用品です。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前徳利です。
平成5年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも中期頃の窯の作品で、
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ重厚な景色が特徴となっています。
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ豪快は肌合いは絶品で
よく溶けて流れた緑色の胡麻は、一目で拾六先生と分かる仕上がりです。
また、拾六先生のもう一つの代名詞とも言える濃厚な紫蘇色の土味も発現しており、
さらに全体が金彩掛かっており、まるでプラチナでコーティングされたかのように輝いています。
作品全体に細かい箆を入れており、これが小石を動かすなどして細かい表情を作り出し、
体中に刀傷を抱えた戦国時代の荒武者のような雰囲気を醸し出しています。
ただ、全体的なシルエットや造形法則は古備前の芋徳利にしっかり準じており、
棗の実のようなやや下膨れの楕円形に、紐作りによる粘土の細かい隆起が合わさっています。
購入後に大切に保管されていた未使用品です。
作品情報
- 器種
- 徳利
- 寸法
- W9.9cm×9.8cm×H17.3cm 630㏄
- 商品説明より
- 共箱(四方桟)
口縁3.7cm×胴径9.9cm×胴径9.8cm×高さ17.3cm 容量 約630㏄
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
