No. 7416
備前ぐい呑
¥55,000
売約済み作品説明
備前の偉大なる功労者、桂 又三郎先生と共に古備前を研究され、
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成16年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも後期の窯の作品で、
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ重厚な景色が特徴となっています。
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ豪快は肌合いは絶品で、
最近作の特徴である青色掛かったカセ胡麻は一目で拾六先生と分かる仕上がりです。
また、拾六先生のもう一つの代名詞とも言える濃厚な土味も発現しており、
見込みや火間などでは蕩けるような茶褐色の土味が実に味わい深いです。
本作は拾六先生が定期的に作られていた薄造りの筒型酒呑ですが、
窯焚きの際の強烈な火力によって楕円形に変形しており、
前述の見事な窯変と相まって燃え盛る窯の炎を想起させます。
底部もまた強烈な炎で変形し、やや座りが悪くなっておりますが、
この酒呑の魅力の一環としてお使い頂けます。
「末恐ろしい」と言われた鬼才、原田拾六先生の備前ぐい呑(酒呑)です。
平成16年までの陶歴書が同封されており、その頃に制作した作品と思われます。
拾六先生がご自身の窯で焼成されていた作品の中でも後期の窯の作品で、
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ重厚な景色が特徴となっています。
古備前研究で培った知識と技術を詰め込んだ豪快は肌合いは絶品で、
最近作の特徴である青色掛かったカセ胡麻は一目で拾六先生と分かる仕上がりです。
また、拾六先生のもう一つの代名詞とも言える濃厚な土味も発現しており、
見込みや火間などでは蕩けるような茶褐色の土味が実に味わい深いです。
本作は拾六先生が定期的に作られていた薄造りの筒型酒呑ですが、
窯焚きの際の強烈な火力によって楕円形に変形しており、
前述の見事な窯変と相まって燃え盛る窯の炎を想起させます。
底部もまた強烈な炎で変形し、やや座りが悪くなっておりますが、
この酒呑の魅力の一環としてお使い頂けます。
作品情報
- 器種
- ぐい呑
- 寸法
- W5.7cm×4.5cm×H6.0cm
- 商品説明より
- 共箱(紐なし・四方桟)
径5.7cm×4.5cm×高さ6.0cm
作家紹介・陶歴
原田拾六先生は1941年に岡山県備前市で生まれました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
明治大学卒業後に会社勤めをされていましたが、1969年頃から作陶をはじめました。
1971年に小穴窯、その翌年には登り窯を築き本格的に作陶を開始されました。
1975年から古備前研究家の桂又三郎氏の指導で古窯跡を尋ね古備前を研究しました。
1991年に牛窓・阿弥陀山に穴窯を築きました。
特に擂鉢を得意とされており、花器や茶器や酒器を紐づくりを中心に一部轆轤挽きによって制作されています。
東京や大阪など全国各地で個展を開催されています。
1983年にはオーストラリア国立民族博物館で、布志名焼の舟木研児先生と二人展を開催されました。
2000年には日本陶磁協会賞を受賞されました。
2002年岐阜県現代陶芸美術館開館記念展に出品され、作品が収蔵されました。
2005年にはアメリカ・ニューオリンズ・ミュージアムオブアートに作品が収蔵されています。
2024年に逝去されました。
